窓際一番後ろの席
窓際の一番後ろの席、そこにカヤノさんが座っている。
先月、突然亡くなったカヤノさんだ。
元々持病があったのだと、その時初めて知った。
カヤノさんは、生前の姿そのままで花の飾られた机に静かに座っている。
本当は生きているんじゃないかと思う事もあるけれど、彼女の横顔を透かして揺れるカーテンが見えたりすると「ああ、やっぱり死んでるんだな」と思う。
退屈な午後の授業、眠りを誘う先生の声を聴きながら、廊下側二列目一番後ろの席から、僕はカヤノさんを眺める。
カヤノさんが現れるのは授業中だけ。見えているのは僕だけらしい。
らしいというのは、見えていない振りをしている人がいるかも知れないからだ。
僕と同じように。
そして、カヤノさんは、ある人をじっと見ている。
窓際から二列目、前から二番目の席。
口元に微かな笑みを浮かべて、そこに座る人の背中をずっと見つめている。
彼女の視線の先には、野球部のコミネがいた。
姿勢の良い長身に、広い肩幅。
今月の席替えまで、彼の後ろの席だった僕は、黒板が見えず辟易したものだったが、カヤノさんは飽きもせずニコニコと眺めている。
彼らは、カヤノさんの亡くなる前の月まで付き合っていた。
葬儀の時、コミネの背中は同じ人物とは思えないほど丸まり、人目もはばからず大声をあげ涙を流していた。
死んでもなお、彼女の視界に僕はいない。
とても淋しいことだが、もしかすると今、僕だけが透明な微笑みを独占しているのかもしれない。
それが少し嬉しくもあり、コミネに申し訳なかった。
だが、それも長くは続かなかった。
ある日突然、花瓶の置かれた机が無くなっていた。
そして、そのことについて誰も触れることすらしない。
まるで彼女が最初から存在しなかったかのように。
僕は担任にカヤノさんの机について聞いた。
「机があると、娘はいつまでも学校から離れられないでしょうから」
という、ご両親からの要望だったらしい。
机がなくなって、教室から離れたカヤノさんはみんなの記憶からも離れて、そのまま消えてしまうのだろうか。
コミネもそれでいいのだろうか。
だが、僕は再びカヤノさんを見つけた。
野球部の練習が見える、藤棚の下のベンチ。
カヤノさんはそこに座って、教室の時と同じように微笑みながらコミネを見ている。
カヤノさんにとって「学校の居場所」は教室だけじゃなかった。コミネの部活が終わるのを待つベンチも、カヤノさんの居場所だったのだ。
コミネを見つめるカヤノさんを観察する僕。
何だか変な事になったと思いながら、僕はカヤノさんから目が離せないでいた。
そんな時、僕はコミネから呼び出された。
コミネの頭には、包帯が巻かれている。
「お前、何で俺を見るの?」
突然の質問に僕は戸惑った。
君じゃなくてカヤノさんを見てたんだ、と言って理解してもらえるとは思えなかった。
「えっと、それは……」
答えを探してモタモタしていると、コミネは痛みに眉を顰めながら頭の後ろを触った。
「それ、どうしたの?」
話を逸らそうと僕は聞いた。
「なんか、知らない間に傷ができてて」
部活ができないせいか、コミネはいらいらしているようだった。
コミネの向こうにカヤノさんが見えた。
カヤノさんは相変わらずコミネを見ている。
「痛っ!」
急にコミネが頭を押さえた。
真っ白だった包帯に血が滲んでいる。
「保健室に行った方がいいよ」
痛みがひどいのか、コミネは黙って頷いた。
保健室でもカヤノさんは後ろから心配そうにコミネを見ていた。
僕は迷ったが、コミネにカヤノさんの事を話すことにした。
「君を見てるのはカヤノさんだ」
席を外していた保健の先生が戻るまでの間、コミネはカヤノさんとの事を話してくれた。喧嘩して、彼女の入院でそれきりになってしまっただけで別れたつもりはなかったらしい。
「あいつ、見てるんだ」
「うん」
カヤノさんは、やっぱりコミネを見ている。
急にコミネが苦しみだした。
「痛い、痛い!」
見ると包帯に滲んだ血が広がっている。僕は慌てて包帯を解いた。
コミネの頭には抉れたような傷が付いていて、今、この目の前でジリジリと更に大きく深くなっていく。
ようやく保健の先生が戻って来た。
「コミネ君!」
先生が駆け寄った瞬間、コミネの絶叫と共に保健室中に血飛沫が飛び散った。
コミネの頭には、大きな穴が空いていた。
「嘘だろ」
呆然とする僕の視線の先にカヤノさんがいた。
初めて目が合った。カヤノさんはジッと僕を見ている。それこそ、穴が空くほど。
ポタリ、と僕の足元に血が落ちた。
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コミネまじか…